マルクスは税をどう考えたか?

税理士なので税に関しては人並み以上に関心をもっている。なので「資本論」を読むときも何か税に関する宝物が落ちていないか、ついつい気にしてしまう。不破哲三の「『資本論』全三部を読む」を読みなおして、税について気づいたことを書き残しておきたい。

 

アダムスミスは「国富論」でスミスなりの租税原理を書いているし、リカードも「経済学と課税の原理」を書いている。しかしマルクスには租税について体系的に書き残したものはない。マルクスにも国家、財政や租税を論じるプラン*1はあったが、それらを体系的に論じる前に亡くなってしまった。そのため国家観や財政観の位置づけなどのプラン問題は多くの論争対象となっている。

 

体系的に租税を論じていないとはいえ、断片的に租税の問題が登場するので、「マルクスは税金についてどのように考えていたのか?」という欠けたピースは個人的に非常に興味がある。またマルクスは書きながら自身の考えをアップデートしていたことで知られている。とくに剰余価値というマイルストーン発見後の認識はより興味深い。

 

ではマルクスは税の本質をどう見ていたか。そのことは非常にハッキリしている。たとえば、資本論では次のように書いている。

 

この剰余価値が、一方ではさまざまな細区分形態――資本利子、地代、租税など――に分裂すること、また他方では、、、*2

 

税はマルクスの理論から言えば剰余価値の一つの分裂した形態だ。資本利子、地代、労賃が剰余価値から生まれたものであるように、そこに税も並んでいる。

 

それはマルクスの価値論からすると当然の話で、そこまではストンと私の頭にも入ってくる。しかし税が剰余価値の分裂した形態であるなら、結論からすれば直接税でも間接税でも、元をさかのぼれば同じ“税源”である剰余価値にたどり着く。

 

私のなかで長い間疑問だったことは、“税源”が剰余価値なのに、なぜ、マルクスは事あるごとに「間接税より直接税」を支持したのかということだ。

 

この問いは、そのまま現代にも通じると思う。野党は「消費税を5%に減税し、法人税引き上げろ」は消費税でも法人税でも“税源”が同じならどっちでもいいのでは?という極論に行き着く。また消費税の価格転嫁問題にもかかわるテーマだ。

 

不破講義を読みなおして、この疑問のヒントになると思ったのが、次の箇所だ。少し長いが引用する。

 

生産力が高められた結果、労働力の価値が下がった場合(この例では四シリングから三シリングに低下)、現実に売買される労働力の価格(労賃)がそれだけ低下するか、という問題をとりあげて、マルクスは言います。

 

「労働力の価値が・・・・低下しても」、「労働力の価格」はある程度しか「低下せず」、それゆえ「剰余価値」は、中間の値にしか「上昇しない」ということがありうる。「三シリングを最小限度とする低下の程度は、一方の側から資本の圧力が、他方の側から労働者の抵抗が、天秤皿に投げ入れる相対的重量に依存している」*3

 

労働日のときにも、その長さは力関係で決まる、という叙述(「同等な権利と権利とのあいだでは強力がことを決する」*4がありました。賃金の問題でも、一定の範囲内での話ではありますが、マルクスは、力関係と闘争で決まる、という指摘をしています。労働条件の問題で、不動の“鉄則”があるわけではないということの一例といえるでしょう。*5

 

マルクスが、「資本主義的蓄積の一般的法則」として提起したのは、抵抗は無駄だという無抵抗主義を理論づけるような、そんな宿命論的な議論ではありません。剰余価値の増大をなによりの推進的動機とする資本主義的生産が、労働時間の面、労働の強化の面など、あらゆる面で搾取の強化を追求する必然性をもっていることを、マルクスは絶対的及び相対的剰余価値をめぐる考察のなかで、明らかにしました。しかし、そのさい、マルクスが労働時間についても、労賃についても、実際の内容は力関係と闘争によって決まる、との指摘を忘れなかったことは、見てきたとおりです。

(~途中略~)

「貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取の総量は増大するが、しかしまた、絶えず膨張するところの、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合される労働者階級の反抗もまた増大する」*6

 

この文章の前半は、明らかに「資本主義的蓄積の一般法則」での貧困化の指摘をうけたものですが、ここでは、資本主義の側に内在する貧困化への傾向の必然性と同時に、労働者階級の側の訓練・結合・組織・反抗への傾斜の必然性が、明記されているのが、重要な点です。マルクスが、このように、貧困化の法則などの宿命的な理解を受け付けず、階級闘争の論理をつらぬいていたことを、しっかりと理解することは、「資本主義的蓄積の一般的法則」を理解するうえで、大事な眼目になります。*7

 

これらは税の話ではなく労働の価値と価格の関係について、賃金とその闘争についてのトピックである。マルクスは実際の賃金の増減は、資本家と労働者との力関係(*もちろん力関係だけで決まるわけではなく、一定の制約はある)で決まるということを言っている。*8

 

不破講義を読んでいて、このことを税の問題に解釈を広げても、そんなに離れた話ではないように思った。要するに賃金は資本の利益との剰余価値の配分をめぐる闘争であり、税についても広い意味では同じだろうと思った。実際にマルクス資本論で下記のように述べている。

 

「・・・租税の廃止は、産業資本家が労働者から直接くみ出す剰余価値の分量を、絶対に変化させるものではない。それが変化させるのは彼が剰余価値を自分自身のポケットに入れる比率、または第三者と分配しなければならない比率だけである。したがって、租税の廃止は、労働力の価値と剰余価値との関係をなんら変化させない。」*9

 

上記引用箇所は、剰余価値の増減に対する本文への注釈である。剰余価値そのものの絶対値は税に左右されるものではなく、税によって剰余価値の配分比率が変わることを言っている。この文章では剰余価値の増減がテーマであり、税については残念ながら本題ではないため詳細には語られていない。このテーマの続きを税の観点から少し詳細に書いたものが、資本論執筆時に書かれた『中央評議会代議員への指示』にある。

 

(イ)課税の形態をどんなに変えても、労働と資本の関係にいくぶんでも重要な変化をもたらすことはできない。

 

(ロ)にもかかわらず、二つの課税制度のうち一つを選ぶべきだとすれば、われわれは間接税を全廃して、全般的に直接税とおきかえることを勧告する。その理由は次のとおりである。直接税のほうが徴収に費用がかからず、また生産を妨害しないこと。間接税の場合には、商人が間接税の額だけでなく、間接税の支払いのために前払いした資本にたいする利子と利潤までも商品価格につけくわえるので、商品価格が高くなること。間接税では、個人が国家に支払う額がどれだけかということは、その個人に隠されているのに、直接税はあからさまで、ごまかしがなく、どんな頭のわるい人間にも誤解のおこりようがないこと。だから、直接税は各人を刺激して、統治者を監督しようという気持ちにさせるが、間接税は自治への志向をいっさいおしつぶす。*10

 

要するに、マルクスは、税の徴収方法の違いによる差は「労働と資本の関係」という資本主義社会の基本的な性格にはほとんど影響を与えないが*11、それでも「間接税」を選ぶのは、その違いにより、直接税では「統治者を監督しようという気持ちにさせる」が間接税では「自治への志向をいっさいおしつぶす」からだと書いている。徴収方法の違いで、その剰余価値の配分闘争に影響が出ることを重視していたのだと読める。それゆえ「間接税」より「直接税」を支持したのだ。

 

マルクスがここで言っている「直接税」は企業に対する「直接税」なのか個人に対する「直接税」なのか、また「間接税」についても、広く徴収される消費税のようなものをイメージしてよいのか当時の状況も調べておく必要がありそうだ。しかし上記引用で「直接税」は“生産を妨害しない”、“徴収費用が少ない”という記述から、生産者に課される「法人税」的な税をイメージしても間違っていないように思う。「間接税」についても“利子や利潤が商品価格につけくわえる”、“商品価格が高くなる”という記述から「消費税」的な税をイメージしても間違っていないように思う。

 

ここで話を現代に戻してみたい。野党がいう「消費税を5%に減税し、法人税引き上げろ」という話が実現した場合、はたして市民の生活は安泰なのだろうか。さまざまな中間項を捨象した、かなりの飛躍になるが上記のマルクス的視点から検討してみたい。

 

消費税が下がって、法人税が上がった場合に、当然に資本家は上がった法人税分の利益を確保しようと、その法人税の増加分を価格に転嫁しようとするだろう*12。その方法は最終消費者の価格を上げる、中間の業者から仕入れる値段を削るなど様々だ。実際にトヨタはコロナでの業績悪化を見越して、部品メーカーに値下げ要請をしたのは記憶に新しい。

 

www.nikkei.com

 

産業の上流にいるメーカーは下請けに対して強い。トヨタのこの事例は「下請けたたき」として、ネットで大いにバッシングされた。

 

ここでトヨタの「下請けたたき」の原因である「コロナによる減収」を「法人税増税による減収」に置き換えた場合、どうなるだろうか。法人税が上がったので、トヨタの利益確保のため、下請け部品メーカーにさらなる値下げの依頼があったとする。もっと極端な話におきかえると、法人税が5%上がったので、商品の販売価格も5%上げるという例にしてもよいかもしれない。つまり消費税が5%下がったけど、価格が5%値上がりし、結果価格は何も変化しない。これらは理屈の上ではなりたつかもしれない。しかし社会がこれを許すだろうか。

 

法人税は儲けた利益に対して課税される。もちろんその負担増加分を企業が価格へ転嫁することは市場経済の中では合法である。しかし市民感覚として脱法である。「原油価格の高騰により販売価格を見直します」は許容できても「法人税の増加により販売価格を見直します」は社会が許容しないだろう。

 

この「社会が許さない」という感覚を上記マルクスの言葉にあてはめると、トヨタの儲けに対する相当の税負担は、「(直接税は)あからさまで、ごまかしがなく、どんな頭のわるい人間にも誤解のおこりようがないこと」であり、「直接税では統治者を監督しようという気持ちにさせる」ということなのかもしれない。

 

*ここでは徴収方法の違いについて書いたが、税の使い方も重要だ。仮にすべての「間接税」が「直接税」になり「累進が強化」されても、それらの税が「資本の強化」のためにもっぱら使われるのであれば、労働者にとってメリットはない。

 

*1:経済学批判序説

*2:新日本出版新版資本論8巻p84、資本論第3部p59

*3:新日本出版新版資本論3巻p908、資本論1部p545

*4:新日本出版新版資本論2巻p405,資本論1部p249

*5:不破哲三資本論全三部を読む第3冊」,p89

*6:新日本出新版資本論4巻p1332、資本論1部p791

*7:不破哲三資本論全三部を読む第3冊」,p181

*8:「賃金・価格・利潤」では、ウエストンの労働組合による賃上げ闘争は無駄という見解に対し、マルクスは同様の主張をより具体的に示している。

*9:新日本出版新版資本論3巻p907、資本論1部p544

*10:大月書店「マルクスエンゲルス全集16巻」p197

*11:ここではおそらく「租税の改革で社会主義革命が起こることはない」ということを言いたいのだと思う

*12:「賃金・価格・利潤」のウェストン氏の提言と似た構造の話になる。ウェストン氏は賃上げ闘争をしても、その分商品の価格が上がるから無駄だと主張した。