映画:「かぐや姫の物語」(考察その1)

 

・高畑監督は何を考えて「かぐや姫の物語」を作ったのか

かぐや姫の物語」は受け手によって様々な解釈がされている。ジェンダー、死生観などが典型だろうか。なんとなくつかみどころがなく、底なし沼のように深い(ように私は感じる)この不思議な作品を、企画書やインタビューなどを手掛かりに、監督サイドの視点を知りたいと思った。

 

・「かぐや姫の物語」の制作を決意するにいたる過程

高畑は製作前にそれを“自分が作るに値するか”をとことん考え抜くそうだ。そのことをプロデューサーである西村氏が語っている。

 

『高畑さんはその逆(宮崎駿の逆)、企画があるとしたらそれが作るに値するものかどうか、一度はとことん否定的にも考える方なんですよ。否定し続けてなにかが残ったときに「あっ、これはこういうところがあれば映画になるかもしれない」と考える。』*1

 

その過程は壮絶で、高畑が監督を引き受けるまで、1日12時間、1年半で5000時間を費やしたという。*2*3まだ作るという決意をする前の段階でこれほどの時間を費やしたのは、「なぜ現代に竹取物語作る必要があるか」ということをとことん問い続けた結果なのだという。

 

・「かぐや姫の物語」の狙い

かぐや姫の物語の企画書は、「パンフレット」や「ビジュアルガイド」などで読むことができる。その企画書冒頭に「かぐや姫の物語」の狙いをこう書いている。

 

『それをひと言でいうなら、「竹取物語」の「本質」とされるものを積極的に裏切って、かぐや姫の側から物語に光をあて、そこに隠されているはずの、動感も現代性もある生き生きとした挿話を掘り起こすことによって、かぐや姫に感情移入できるアニメーション映画をつくりたい、ということである。』*4

 

この文章からは、かぐや姫を主人公にした現代性のあるアニメにしたいことが伝わってくる。しかし竹取物語の”本質”とは何か、それを”裏切る”とはどういう事なのか、企画書にはハッキリと書かれていないため、全く意味がわからない。

 

・高畑の「竹取物語」解釈

高畑は企画書とは別に『「竹取物語」とは何か』というテキストを書いている。これは「ビジュアルガイド」や「アニメーション折にふれて」におさめられている。この内容をひと言でいうと古典である「竹取物語」を高畑流に解釈したものである。ここには企画書にでてきた”竹取物語の本質”や”隠されているはずの挿話”についても書かれている。

 

高畑が考えた”竹取物語の本質”は、「竹取物語」を参照して書かれたであろう「今昔物語」の説話にあるとしている。高畑は「今昔物語」の説話をとりあげながら「竹取物語」の本筋と本質を次のように書いている。

 

本筋とは、「人の心を捉えずにはおかない絶世の美女がこの世に一時滞在し、その美しさで人々をさまざまに翻弄したあげく、結局超然としたまま月へ帰ってしまう」という不思議な出来事の紹介である。*5

本質とは、「人間はこの世ならぬ美しさを見れば、手にいれたいと強く望むが、この世ならぬが故に所詮それはかなわぬことであり、ただはかない憧れを残すのみだ」という概観である。*6

 

「今昔物語」の説話は姫の心理描写を積極的にそぎ落とし、主人公に感情移入させようとさせず、姫の心を推し量ることの不可能性を浮き彫りにしている。

 

かぐや姫は何のためにこの地上にやってきたのか、そして何故月に帰らねばならなかったのか、そんなことは分からなくて当然なのだ、いやむしろ分からないことこそがかぐや姫物語の本質なのだ、ということを「今昔物語」の説話、見事に、すっきり教えてくれた。*7

 

高畑は「今昔物語」の説話が、オリジナルの「竹取物語」に近いものだと仮定し、現存する「竹取物語」(この映画のベースになっている「竹取物語」のこと)はそのオリジナルである「<原>竹取物語*8から出発したものだと推定している。

 

現存する「竹取物語」は「<原>竹取物語」と異なり、”何を考えているのかがわからないかぐや姫”という”本質”を積極的に裏切り、かぐや姫の”心”を描こうとした。かぐや姫に人間としての血を通わせ、この不思議な姫の心の心中を知りたい読者の要求に応えようとした。しかしそこには、何のために地上へやってきかた、何を考えて生きていたか、何をしたかったか、何故月へ帰ることになったのかなど、数々の疑問がわきあがるが、その肝心のところが明らかになっていない。その不可解さが「竹取物語」の永遠の魅力の源泉となっている。要約するとこれが高畑流の「竹取物語」の解釈である。

 

・もう一度企画書に戻る

ここまでを頭にいれて、先ほどの企画書冒頭に戻ると、ようやくその意味がわかる。もう一度先ほどの冒頭部分を引用する。

 

それをひと言でいうなら、「竹取物語」の「本質」とされるものを積極的に裏切って、かぐや姫の側から物語に光をあて、そこに隠されているはずの、動感も現代性もある生き生きとした挿話を掘り起こすことによって、かぐや姫に感情移入できるアニメーション映画をつくりたい、ということである。

 

つまり、高畑は”姫の心は理解できなくて当然”という「竹取物語」の本質を積極的に裏切り、姫の側からの物語に光を当てる。「竹取物語」では描かれなかった姫の物語を掘り起こすことで、姫に感情移入ができ、かつ現代性のあるアニメをつくりたい。これが企画の意図となる。

 

高畑は基本的に原作をリスペクトをし、その内容を大きく作りかえるようなことはしない。しかし「かぐや姫の物語」だけは別で、原作を換骨奪胎したと語っている*9。高畑が残した企画書を整理して読み解くと、その換骨奪胎の意味がよくわかる。”本質”とされる”理解できない姫”を積極的に描き、”永遠の魅力の源泉”である疑問点の数々(何のために地上へやってきかた、何を考えて生きていたか、何をしたかったか、何故月へ帰ることになったのか)に解をあたえ、古典を現代劇に作り替えたのである*10

 

そして高畑の恐ろしいところは、その”換骨脱退”を本来の「竹取物語」の筋を大きく変えずにそれらをやってのけているところにある。

 

考察その2に続く

 

考察その1

考察その2

考察その3

考察その4

 

 

*1:ユリイカ2013年12月号p107

*2:ユリイカ2013年12月号p107

*3:西村のブログ「悲惨日誌」スタジオポノック 公式ブログ - <悲惨日誌 第1回> 悲惨な日々?

*4:かぐや姫の物語 ビジュアルガイドp104、なおこの部分はパンフレット記載の企画書からは省略されている。

*5:アニメーション、折りにふれて、p310

*6:アニメーション、折りにふれて、p310

*7:アニメーション、折りにふれて、p312

*8:「<原>竹取物語」はあっただろうと考えられているが、現存していないので、その内容は不明である。

*9:『幻の「長くつ下のピッピ」』p144,高畑勲宮崎駿、小田部洋一

*10:実際にメイキングDVDの中で「古典というよりは現代劇のつもりだ」と監督本人が語っている。