旅行:広島(その1)

 

1泊2日で広島へ行ってきた。十数年前に一度行ったのだけど、悲しいことに内容をほとんど覚えていない。改めて戦争や原爆について知りたいと思い、広島を訪れた。新幹線を使うと広島駅には9時半すぎには到着した。思っていたよりもぐっと近い。

 

広電に乗って原爆ドーム前に行くと、自分と同じようなソロ観光客がチラホラ歩いている。平日にもかかわらず人が多く、3~5人の学生の集まりや、外国人、修学旅行生など、さまざまで、なんとなく女性や若い方が多い気がした。原爆ドーム周辺には平和公園、国立原爆死没者平和祈念館、平和記念資料館、そして最近改修されたレストハウス本川小学校がありそれらを巡った。

 

平和記念資料館では当時の被害の様子が、いやというほど展示されていた。広島という都市の被害からはじまり建物、物、人、家族、みなし子、病気、世代を超えた被害などなど。なかでも当時を体験した市民が晩年に描いた絵が衝撃的だった。親が我が子を見捨てた当時を思いだして描いた絵で、悔やんでも悔やみきれず今なお後悔していることがその絵からひしひしと伝わってきた。

 

ウクライナ戦争の報道をみると日本の防衛力強化や軍事同盟強化という言葉が飛び交う。戦争や平和をどこか政治的な問題、戦略的な問題のように無意識にとらえてしまっている自分がいる。また戦争の被害者や犠牲者という言葉を文字通りの言葉、単なる単語としてとらえてしまい、その先の想像力がほとんど働いていない。平和記念資料館を訪れ、そこには何の罪もない“大勢の犠牲者“がいるという当たり前のことを生理的な感覚として受け止めることができた。

 

少し残念なことは、戦争そのものに対する展示や解説が少なかったことだ。原爆という悲劇がクローズアップされることはとても大きな意味がある。原爆の展示が大半をしめるなか、日本が行った戦争が何だったのかがほとんど触れられていない。その説明がないと、なぜ「原爆を落とされたか」に至る経緯がまったくわからない。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉があいまいなように、戦争にたいする認識もあいまいだと感じた。

 

ロシアのウクライナへの侵略はかつて日本が行った満州事変と似ている。アメリカに核を落とされた日本が、今度はアメリカの核の傘に入り積極的に軍事的協力を進めようとしている。かつてアジア・太平洋を侵略し、また原爆で大きな被害を受けた日本だからこその役割があるのではないかと思う。