旅行:広島(その2)

 

2日目は呉の大和ミュージアムを中心に歩いた。たくさんの来場者でにぎわっていたが、こちらは平和公園周辺とは違い女性や外国人は少なく感じた。

 

常設の展示は、呉が明治時代に鎮守府として選ばれたところからはじまり、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続き、その中での人々の生活などなど、呉だけでなく日本の歴史の流れがわかるように展示されていた。ところどころでモニタを使った解説もあり、わかりやすく好感が持てた。

 

ミュージアムのメインは大和なので常設展のど真ん中の一番大きなスペースのモニタには戦艦大和の技術力を誇る内容と、それらが戦後復興に役立ったことが大々的に映し出されていた。当時史上最大、最強の戦艦を作った日本の技術力を誇る内容で、その技術が今の日本の産業の現場にも形を変えて生きているといった内容だ。

 

また大和の沖縄特攻作戦で犠牲になった者に対する追悼のスペースも多くとられていたが、そこにそえられた言葉は、すぐに意味を読み取るには難しく、国家のための死を今なお肯定するかのようにも読め、なんとも言えない気持ちになった。

 

 

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」(「戦艦大和の最期」吉田満

 

それらの展示物をぐるっと回ると1/10巨大な大和の模型をはじめ、人間魚雷、そしてゼロ戦が展示してある*1。先ほどみた沖縄特攻作戦で亡くなった人にそえられた言葉がまだ頭に残っているなかでのそれらの展示はどこかスッキリとしない。

 

ミュージアムショップには大和のプラモデルや日章旗旭日旗が並びエンタメ消費的な軽さを感じた。外国の方が見たらどう思うのだろうか。侵略された側から見れば恐怖に感じるかもしれない。

 

その後、てつのくじら館や入船山記念館をめぐり、歴史の見える丘まで歩いた。歩くとよくわかるが造船所や海自関連施設、海自の宿舎など、呉はいまだに軍都としての性格を維持しているように見える。

 

大和ミュージアムを含め呉はとても刺激的な場所だった。私は大和については何も知らない。大和が沖縄特攻作戦という片道燃料で必負の作戦に挑んでいたということも初めて知った。吉田満が書いた「戦艦大和の最期」にも興味がある。そこでの乗組員の心理や、なぜ無謀な水上特攻が行われたのか。知りたいことが山ほどある。戦時中における日本の特殊な状況が大和には詰まっている気がした。これをきっかけにいろいろと学びたい。

 

 

・旅行行程(メモ)

9/16

4:50 起床

6:3 サザン乗車(和歌山市→なんば)

7:30 新大阪

8:19 のぞみ79号

9:40 広島駅着

広電で原爆ドーム前に移動し散策。

原爆ドーム、平和記念館、原爆死没者平和記念館、レストハウス本川小学校、袋町小学校など。

 

9/17

7:37 広島駅→呉(普通電車)

8:15 呉駅着

大和ミュージアム、てつのくじら館、入船山記念館、歴史の見える丘など。

19:10 広島駅発のぞみ58号

20:31 新大阪着

*1:ちなみに和歌山の白崎海岸には人間魚雷回天の発射基地があったそうだ。