庵野秀明と黒澤明(殺陣の否定、マルチカム撮影)

・殺陣の否定

少し前に「シン・仮面ライダー」のメイキングが賛否両論を巻き起こしていた。僕自身まだ映画を見ていないのでなんとも言えないが、そのドキュメンタリーの中で庵野監督はしきりに次のことを強調していた。

 

≪頭の中が殺陣でいっぱいになってる≫

≪やっぱり組み手は組み手にしか見えない≫

≪殺陣ではなくて殺し合いを演じてもらえれば≫

≪「技を決めよう」という意識ではなく「相手を殺そう」という意識≫

≪もう全部アドリブでやってほしいくらい≫

≪段取りなんていらないですよ≫

≪ただの段取りです≫

 

要するに殺陣(たて)の否定である。

 

最近黒澤明の映画を立て続けに観ていた。そこには庵野監督が望んだ“殺陣の否定”がきっちりと画面に繰り広げられていた。

 

黒澤の戦闘シーンは本当に生々しい。「羅生門」における武士と盗賊の戦闘シーンは、お互いに睨みをきかせて真剣勝負というものからほど遠い。地べたを這いつくばり、刀を落とし、必死でその刀を探し回り、逃げ回り、殺す方も、殺される方もどこか及び腰だ。どちらも殺されるのも怖いが、殺すのも怖いというなんともいえない空気がただよっている。とても無様で格好の悪い戦いシーンだ。しかし本当の殺し合いとはこういう、無様で格好の悪いものだったのではないかという黒澤の答えがここにはある。

 

先日たまたま「『七人の侍』と現代」という本を読んでいたら、そこに黒澤明による”殺陣の否定”についての考察が書かれていた。

 

(黒沢が書いた『殺陣師団平』の脚本の一部である。マキノ雅弘監督により映画化されている。団平は師匠澤田のもとで殺陣の修行をしている。あるとき団平は師匠に問いかける。)

 

団平:「先生、あの立廻りはただ客よせのためにやったんでっか?それがなんで写実だす。なんでリアリズムだす。ええ先生。わてには分からん、立廻りで客寄せして、客が集まったら今更立廻りをソデにする、わてにはそんな不人情なことは出来ん、出来まへん」
澤田:「団平。お前にはわからんのだよ、俺たちは決して立廻りへの愛情は失っていない・・・しかし何時までもそれに溺れてはいられないんだ(・・・)これからはもう立廻りのための立廻りはやれん、それが時代」(黒澤明「殺陣師団平」脚本)

 

歴史的にいうならばこれは誤りである。澤田正二郎はどこまでも立廻りに改革を導入したのであって、それを「リアリズム」の名のもとに廃棄したわけではないためである。この一説では脚本家の黒沢明が澤田の口を借りて語っているのだ。黒澤は殺陣の起源を見据えた上で、これからの映画はそれに拘泥せず、新しい身体動作の文法を築きあげなければならないと説いているのである。

 

(~途中略~)

 

もはや舞踏のように様式化された殺陣はいらない。これから向き直らなければならないのは、現実の戦いの場でなされてきた仕種をいかに力強く再現するかという問題である。

 

(~途中略~)

 

七人の侍では)黒澤明は菊千代を、思慮の欠いた成り上がりの侍と見ているわけではない。武士という偏狭な観念に捕らわれず、戦闘という行為を合理的にかつ実践的に把握する戦士として、勘兵衛とはまた違った意味でその才智に敬意を払っている。それがもっとも顕著に示されるのは決戦の早朝、菊千代が村の辻に一抱えの刀を運んでくると、やわらに鞘を捨て、六本を土に突き立てる場面である。彼は同胞の侍にむかって「一本の刀じゃ五人と斬れねえ」と語り、景気づけのため叫び声を立てる。おそらくこの場面こそ、黒澤明が半世紀に及ぶ殺陣の伝統を完全に否定した瞬間であった。これまで何十人の相手を斬り倒しても額に汗もかかず、太刀にいささかの刃こぼれも見られてはならないという時代劇のお約束ごとが、この菊千代の科白によってものの見事に葬り去られたのである。*1

 

・マルチカム撮影

ドキュメンタリーでは庵野監督がたくさんのiphoneを並べて様々なショットを撮り、そのなかから面白い映像を選び編集する手法が取られていた。

 

たまたま黒澤明wikiをみていたらマルチカム撮影のことが書かれていた。マルチカムというのは複数のカメラで同時に様々な角度から撮る手法である。「七人の侍」では8台の望遠レンズを用いて同時に撮影。役者はカメラを意識しなくなり、思いがけない映像や普通の構図では考えられない面白い画面効果が得られるとしている。しかも黒澤明はこのマルチカム撮影を世界で初めて考案し、採用した監督らしい。

 

黒澤の撮影方法は、複数のカメラでワンシーン・ワンショットの長い芝居を同時撮影するというもので、この手法は「マルチカム撮影法」と呼ばれた。(~途中略~)黒澤はこの手法を使うと俳優がカメラを意識しなくなり、思いがけず生々しい表情や姿勢を撮ることができ、普通の構図では考えつかないような面白い画面効果が得られるとしている。(~途中略~)

編集作業は黒澤自身が行った。黒澤は撮影を素材集めに過ぎないとし、それに最終的な生命を与えるのは編集であると考えていたため、他監督の作品のように編集担当に任せることはせず、自分で編集機を操作した。マルチカメラ撮影法を採用してからは、複数カメラで撮影した同じシーンのフィルムをシンクロナイザーにかけ、一番いいショットを選んで繋げるという方法で編集をした。*2

 

「シン・仮面ライダー」のメイキングから庵野監督の異常なこだわりが伝わってきたが、ひょっとすると”殺陣の否定”や”マルチカム撮影”など黒澤映画に多大な影響を受けていたのかもしれない。

 

 

*1:四方田犬彦:「『七人の侍』と現代」、p90-97

*2:Wikipedia黒澤明より