マルクスは史的唯物論を捨てたのか?(『人新世の「資本論」』について)
齋藤幸平の『人新世の「資本論」』によると、最晩年のマルクスは「史的唯物論を捨て、脱成長コミュニズム」に到達したらしい。これが証明されれば今までのマルクス観は180度変わることになる。
私にはとても難しい内容だったが、「脱成長コミュニズム」とは要するに「西洋における革命は近代社会の成果を大切にしながら共同体のもつ定常型経済(経済成長をしない循環型の経済)をモデルにして、コミュニズムへと跳躍する」ということのようだ。
従来のマルクスは「生産力至上主義」、「ヨーロッパ中心主義」の「進歩史観」であって、晩年はそれを捨てたというのである。しかもその理論的大転換があまりにも大きすぎたために『資本論』を完結させることができなかったそうだ。
最新の研究を知らない私の頭の中は「古いマルクス」のままであり、史的唯物論を捨てたという突然の新解釈もなかなか素直には受け入れられない。ところで不破哲三は史的唯物論についてこう書いている。
(マルクスの研究は)史的唯物論の立場でこの社会構成体の全貌とその運動を説明し、資本主義的社会構成体の「生きた描写」を与えることに成功しました。マルクスは、そのことを通じて、史的唯物論を「仮説」から「科学的に証明ずみの命題」に転化させたのでした。*1
不破は史的唯物論を「仮説」から「科学的に証明した」ことがマルクスの功績だという。この考えは、私が20年前に勤通大で学んだ「科学的なものの見方」のベースであり、さらには日本共産党の綱領にもこの考えは反映されている*2。その「史的唯物論」が「生産力至上主義」の「進歩史観」と呼ばれ、しかも晩年には「捨てた」というのだから私にとっては特別にショックが大きい。
斎藤が言及していない著作に『フランス労働党の綱領前文』*3がある。これはマルクスが1880年の最晩年に書いたもので、彼のいう「脱成長コミュニズム」に至っている時期のものである。しかしここでは彼のいう「脱成長コミュニズム」を示唆する記述は見当たらず、『資本論』の「否定の否定」が簡潔に表現され、普通選挙により生産手段を集団に返還させるという革命観が描かれている。要するに最晩年であるにもかかわらず、斎藤のいう「脱成長マルクス」ではなく「古いマルクス」のままであり、史的唯物論がしっかりと刻まれているように読める。
本書は新書というスタイルのためか「脱成長コミュニズム」という結論が先行し、そこに至る考察過程*4については、本格的に論じられていない。そのため、「古いマルクス」に慣れた私のような読み手には、なんだか行き場のないモヤモヤが残ってしまう。斎藤氏にはこの大発見を論文なりで、きちんと理論立てて発表してほしいと思う。