読書:不破哲三「『資本論』全三部を読む」(感想その1)

年末に、不破哲三の「『資本論』全三部を読む(旧版)」を読み始め、先日最終巻を読み終えた。忘れないうちに感想をまとめておきたいと思う。

 

なぜ不破の「『資本論』全三部を読む」を読み始めたのかというと、斎藤幸平の「人新世の資本論」を読んでいた時に、きちんと全三部を再読したいなと思ったからだ。もともと資本論を読み通したのは5年頃前*1で、今では細かなディテールもぼやけ、逆に印象に残っている部分だけが強くイメージとして残っている。とくに第三部の三位一体の話(利子、地代、労賃の源泉)と第二、三部のエンゲルスの編集に至らない点があったという点が大きく印象に残りすぎて、他の部分がだいぶ頭から抜け落ちてしまっている。そもそも最初に「資本論」を読もうと思ったのも、一生に一度は読んでおきたいと思ったからで、「わからなくても全三部を読み通す」ことに意義を感じ、わからないままに読んでいた箇所も多かった。改めて資本論に挑戦するにあたり、この二部、三部のモヤモヤを少しクリアにしたいと思ったのも理由のひとつである。

 

ちなみにその当時は第一部を中山元訳の資本論を用いた。新日本出版社訳も手元にはあったが、言葉が固すぎて、文字が頭に入るまでとても時間がかかった。新日本出版訳での読み方は同じ文を3、4回読み直して次に進むといったぐあいで、普通の本のように文字を追えば頭に入るという感覚が全くない。これでは読み通すまでに膨大な時間がかかると思った。その点中山訳は比較的新しい訳のためか、堅苦しい言葉ではなく、普通にスラスラ読める日本語になっている*2。二部、三部は中山訳がないので大月書店のデカいやつを選んだ。大月書店訳は文章の表現が新日本出版訳より若干柔らかく感じたからなのと、装丁が重厚でカッコよかったからだ。

 

前置きが長くなってしまったが、当時「資本論」を読んだときに「講師」として手元に置いていたのが不破の「『資本論』全三部を読む」だった。「資本論」はマルクスの叙述に一癖も二癖もある本なので(それが魅力でもある)、その章でマルクスが言いたかったことをきちんと整理する必要がある。その最良の講師が不破だった。

 

今回は斎藤の「人新世の資本論」を読んで「資本論」を再読したいと思ったが、部分的に読むのはなんとかなるにしても、全三部の通読は時間的なハードルが高いので、不破本7冊の超訳で復習することにした。

 

「不破読み」の特徴は、縦横無人に全三部を語っているが、何故不破がそう考えたのかという思考プロセスをある程度たどることができる点で優れている。それぞれエビデンスを示し、過去の解釈や論争、定説ではない不破流の読み方、まだ研究途上にある問題など明確に区別して書いている。また「マルクスマルクスの歴史の中で読む」ことに注目しており、何故その時マルクスがそう考えたのかという考察も多岐にわたる。こうして書いてみると、堅苦しそうな本に思えるが、セミナーの講義録なので口語調でビックリするほど読みやすい。

 

また資本論全三部を対象にし、全三部の叙述に準じて解説するという本は、実はほとんど無い。よくある「資本論入門」的な本では第一部が主な解説対象であり、二部、三部は対象外とするものも多い。例えば佐々木隆治の「マルクス資本論」(角川選書シリーズ世界の思想)も資本論解説書だが、その範囲は第一部に限られている。伊藤誠の「『資本論』を読む」(講談社学術文庫)は全三部を網羅しているが、経済学的な見方に重きを置きすぎており、資本論の世界を狭めているように思えた。要するに資本論に準拠して全三部を解説するというのはありそうであまりないのである。

 

本題の不破本感想を書く前に話がだらだらと長くなってしまった。感想は次の機会に書きたいと思う。

 

 

 

*1:2016年秋~2017年春

*2:「大洪水よ、わが亡き後に来たれ!」が中山訳では「あとは野となれ山となれ」になっていたのは残念。